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2013年12月21日(土)に桜の聖母短期大学で行われた

エチカ福島第3回セミナー佐藤和夫先生講演メモ

です。
例によって、個人的なメモにすぎませんから、当然間違いがたくさんあります。ご了承の上で参照を。


グラムシ「現状を話していくとペシミズムになる」
なるほど事実(の情報)を流せば流すほど変われないと思う。ペシミズムになる。しかしそのこととオプティミズムは両立する。
3:11のとき、ボリビアにいた。チェ・ゲバラが死んだ場所。
その後ニューヨークに寄った。そこで、三分間ぐらいの映像を繰り返し繰り返し流していた。
半分は大津波、残りの半分は原発事故。100回は見た。日本は滅びる、と思った。

ところで、人生でラッキーだったのは、世界史の転換点に出会ったことだ。

初めて外国に行ったのは、1985年の東ベルリン。
そこで向こうの友人から
「ソ連の指導者が変わった(ゴルバチョフになった)から、変わるかもしれませんよ」
と聞いた。
ソ連崩壊はその6年後だった。


みなさん、政治体制にはおおきくいって二つある。連邦制と中央集権。
連邦制は、一番基礎の単位に決定権がある。
また、1988年のユーゴスラビアでは、「サトウ、内戦が始まるかもしないよ」と言われた。
ユーゴスラビアは一旦内戦が始まれば滅びるしかない。
その言葉の通り、内戦によってユーゴは大解体、ズタズタに、憎しみにあふれた状況になった。

対する日本は中央集権。近代戦争をするためのシステム。

さて、話を戻すと、1988年6月、世界中何かが変わってもベルリンの壁は決して落ちない(今後70年)と、理論家はいっていた。
しかし、1988年10月東ベルリンにいて「変わるんじゃないか」と思った。
でも、その直前まで分からなかった。

学生運動の時もそう。学生なんて政治に動くわけがないと直前まで思っていた。

フィリピンの民主化、マルコス政権が変わるときは「あっという間」。変化は起きるまで外側から見えない。

東ドイツを見て肝に銘じたのは、どんなに理想を持って社会を作っても、上からトータルプランを持つのはあやしいと感じた。
そこでアーレントに引かれた。

プラトン以降の政治哲学は設計図に基づいている。計画があってつくる。
本当にいいのか?

最初にこうするべき、という設計図を最初に出すのは疑問。
societyの訳語は、交際、付き合い、だったが、そうもいかないので、「社会」と訳した。
以前は世間・世の中だった。

30才若い先生が自殺してしまった。その人が
「僕らの世代には社会という観念はない」

といった。
「これだ!」
と思った。
高橋さんが国民主権、といった。15才の時に私もそう思った。しかし、そのことと今の大学生との間には大きなギャップがある。
大学生に
「私たちが主権者だと憲法にある。君たちが主権者だと思う人」
と尋ねると手を挙げる生徒はゼロ。
今現在、学生に「主権意識」はない。ヨーロッパで社会はどう成立したかを考えると分かる。

ギリシャ
財産や身分に関係なく、「自由になった人」その条件を持つ者が市民として共同体を形成するのが社会。

近代
近代社会は
?社会契約論(財産権の保障<富の蓄積を認める>)=こちらは経済的利益→経済主権

?市民社会(市民の側に主権)

?と?が混同された結果、結局金の問題になっている。金に翻弄されているうちは、それに振り回されたまま。

市民社会とは?原点を取るとき、

A,経済的共同体
B,政治的共同体

この識別が必要。
ハーバーマスを含めて信用できない。
経済的調停ができると思っているのがダメ。

(大学教授も年俸制になって退職金がなくなる。)

金の問題に合意はない。金に合意点があるかのように考えるのはダメ。ハーバーマスがそのいい例。

新自由主義的である限り、「社会」はありえない。

ソーシャルというのは、困っている人、弱者を協力して助ける、ということ。
ソーシャリスト、ソサイエティーもそこからきている。

言い換えれば、自分が自分の人生・集団の決定者でなければ、そこに社会はない!!

助け合いの運動のないところに社会はない。
自己決定がないところに社会はない。

自分が主権者、主人公である、ということだ。

今、?橋先生と議論すべきところでもある。
つまり、「国民主権」の限界性を意識しつつある。

国民て何?もうそれが自明ではない。

今、孫がハーフ(ではなく今はダブルという)で、ドイツでも日本でも差別された。その結果彼女は、絶対に二つのアイデンティティを捨てない、といっている。
(成年時にどちらかの国籍を選ばなければならないが、選ばない、ということ。そのために捕まっても!)

どういう意味で国民を成立させ、それを積極的につかえるのか?

かつて、経済的に成功してきたから、日本人であることは利益があった。
たとえば、外国で「私は日本人です」といったとき、お金持ちだからいじめるのをやめよう、となる。私たちは日本人であることによって利益を得てきた。

社会主義が最悪だったのは、国家単位だったということ。
社会主義が最良だったのは、国家の中の人の生活を保障しようとしたこと。

ユニクロの柳井社長は、これからは1億円稼ぐ人と100万円稼ぐ人に分かれる、といっている。つまり、グローバル社会の格差を前提としている。

話を戻すと、「社会がない」「主権者ではない」学生と、私の決定的な才は、将来が保障されているかどうか。
人々が生活する安定的基盤を奪うのが新自由主義である。


ここから先は異論があるかもしれない。

経済は人の心を左右する。翻弄する。2億円あっても、10億円あっても。
なぜ、誰もそれを問わないのか?

私は、福島県の(底辺校といわれていた)言わせ農業高校訪問によって人生を変えられた。以前から、ジェンダー意識の聞き取りなどで成績上位の進学校は訪問していた。しかし、成績下位の学校には行っていなかった。今は<普商工農>という高校の序列がある。
そこで、岩瀬農業高校にいってみた。

これが凄い学校だった。専業での農業後継者は数名しかいない。だから、農業者を育てるということではない。そこで行われていたのは、

生活自立のための教育、自分で生きていく力をつくる教育

だった。自分でならった技術や知識を下級生に伝える。そこでは自己肯定感をつぶされていた者が、解放された。

二度訪問したが幻想ではなかった。

私は昔から、6才の時初めて今の連れ合いに出会って、今は仲良く別居している。
15才で「結婚してください」といった。料理ができないと離婚できないから、一生懸命彼女にならった。そうしたら、28才で「今日の料理」という番組に出演した。
しかし、40才までは「お父さんの料理」にすぎなかった。しかし、2000年からアメリカで暮らしたとき、アメリカの田舎は料理がまずい。怒り狂って自分で作った。そこから「おかあさんの料理」になり、自己肯定感が高まった。

自給自足ということ。家があって、自炊ができれば生きていける。

10万円で田舎暮らし?
40万円で都会暮らし?
これは選択の問題。

ここで問題。

ハンナ・アーレントは「プロパティ(property)」という概念をいっている。

アーレントの考えは、本を読んでもなかなか分からない。「私的所有」についての考えはなかなか分からない。

私有財産は「盗み」だと考えていた(注:誰が?アーレントが?昔?一般的に?不明。)

プロパー→自分の、自分固有の

自分が自分でいられるために必要なもの=「プロパティ」

Propertyとwealthの違い

Property 財産、所有物。→人間が人間として生きていくための条件

Wealthは富、財産。→金を際限なく蓄積する方向(アダム/スミスはこっち)

それはこういうこと。
例:帝国ホテルでずっと暮らしたいか。

人間は自分の生きる空間を自分でしつらえたい四級がある。
Wealthがあれば、ホテル暮らしができる。それは最良の空間として提供されたものではある。
しかし、Property、生きる条件がなければ暮らせない。


そして、近代はPropertyを奪う社会。そして、Wealthにますます依存する仕組み。

私はこのことをガンディーから学んだ。

チャルカや塩の行進でなぜインドはイギリスから独立できたのか?

この理解に時間がかかった。

本当に社会を変えるには、4億の人々が社会の主人公だという意識を持たねばならない。人間としての誇りの最原点を示したのがガンディー。1929年世界恐慌の翌年に、1930年塩の行進、である。

21世紀はグローバル化した時代であると同時に、コントロールできない時代。

技術者も想定外のことはコントロールできないと知っている。
金融や資本は国民国家レベルではコントロールできない時代。
つまり、計算可能性が限界。
70億人は人間には数えることすらできない。

分からないことだから黙っちゃう。
そして支配者の言葉を内面化してしまう依存。

その状態は、Propertyを失っている、といえる。

金を求めるWealthではなく、私たちは私たちの生活を自分たちで作り上げていくことが必要。
べてるの家という統合失調症の治療をしているところの話が参考になる。
症状を認め合い、語り合い、暮らしていこうじゃないか、という、病気と共に暮らしていく道を始めている。

Eテレのハートネットで、知的障害の女性の番組をやっていた。
売春の多くが知的障害者
「おまえは(一人で生活)できないだろう?やってやるよ」
と命令する。本人は自己肯定感がなくなっていく。
その結果、売春から抜け出せなくなっているということが起こる。

施設に入所した人に、日常生活の自立ができるよう自己点検させる。すると、自己肯定感が増え、自分の生活は自分でできるようになる。

すると、自分で断れるようになる。

以上のことから、権力者が政治を変えるのではない、みなさんが生活を変えることだ、ということが分かる。

たとえば、結婚しない人が増えれば、不登校が増えれば、社会は変わらざるをえない。
国家や市場に振り回されているうちは、変わらない。

(以上)
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