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エチカ福島第5回 ワークショップ開催のご案内です。

テーマ「教師の仕事を考える」ー教育の課題と可能性を福島で探るー

日時 2015年8月1日(土)13:00〜16:30

場所 福島大学 M2教室(予定)

参加費 無料

日程
  13:00開場
  13:30趣旨説明
  13:45 報告1「地域に根ざした教育」 
  14:25 報告2「教育の湧き出る場所」 
  15:10 全体討議

参加者 どなたでも(大学生・高校生も大歓迎です。大学見学代わりに、あるいは教職のネタ準備にご利用ください)

参加申込み 不要です。当日ふらりとおいでください。

テーマ設定の趣旨

 教育は私たちにとって身近でありながら、何十年も前からの制度の中で受けていたり、成果を手にするのが10年20年後だったりそします。それぞれの違いを尊重する場所でもあり、共同性をはぐくむ場所でもありましょう。
 エチカ福島では、今後<教育編>として、教育の課題と可能性を継続的に考えていく予定です。

 今回はその<教育編第1回>として、「地域教育」と「特別支援」の実践をしている公立学校の先生をお呼びし、現場からの報告をいただいた後で、そのことについてフロア全体で討議していきたいと考えています。
 お二人の実践は東日本大震災や原発事故と直接の関係はありません。
 けれども、それぞれがここに「違い」を抱えたまま分断線を生きる経験と、同時に共同性・ネットワークの再構築をこの大震災以後に経験してきた私たちにとって、「地域」について考えること、個々の違いに応じた「支援」を考えること、は教育の今日的課題であると同時に、福島の「今」を生きる上で避けて通れない課題でもありましょう。

後半話し合いの時間も十分取ってあります。
ぜひよろしかったらご参加ください。高校生・大学生・一般の方・現職の教員、どなたでも大歓迎です。

 
第4回エチカ福島を開催します。

テーマは
「故郷は消滅するのか?」(仮題)
です。

福島に限らず、人口減少と高齢化、自治体サービス?インフラ整備メンテの限界が大きな課題となりつつあります。
私たちは、この問題を会津の金山町で考えて見たいと思います。これは単に会津の課題、というより福島の問題であり、実は日本の多くの地域が直面する困難、だと考えます。

地元の方の報告と参加をいだだきつつ、じっくり討議ができます。
遠方からの参加は大変ですが、ぜひ参加をご検討ください。


日時:2014年10月11日(土)14時〜17時
場所:生活体験館
(大沼郡金山町大字小栗山字上村1921)

☆お泊まりを希望の方はお早めにメールを下さい。二次会別で7000円ぐらい。スタッフと民宿同宿となります。数に限りはありますが可能な限り対応します。)

問い合わせのメールアドレスは
ethicafukushima@gmail.com

2013年12月21日(土)に桜の聖母短期大学で行われた

エチカ福島第3回セミナー佐藤和夫先生講演メモ

です。
例によって、個人的なメモにすぎませんから、当然間違いがたくさんあります。ご了承の上で参照を。


グラムシ「現状を話していくとペシミズムになる」
なるほど事実(の情報)を流せば流すほど変われないと思う。ペシミズムになる。しかしそのこととオプティミズムは両立する。
3:11のとき、ボリビアにいた。チェ・ゲバラが死んだ場所。
その後ニューヨークに寄った。そこで、三分間ぐらいの映像を繰り返し繰り返し流していた。
半分は大津波、残りの半分は原発事故。100回は見た。日本は滅びる、と思った。

ところで、人生でラッキーだったのは、世界史の転換点に出会ったことだ。

初めて外国に行ったのは、1985年の東ベルリン。
そこで向こうの友人から
「ソ連の指導者が変わった(ゴルバチョフになった)から、変わるかもしれませんよ」
と聞いた。
ソ連崩壊はその6年後だった。


みなさん、政治体制にはおおきくいって二つある。連邦制と中央集権。
連邦制は、一番基礎の単位に決定権がある。
また、1988年のユーゴスラビアでは、「サトウ、内戦が始まるかもしないよ」と言われた。
ユーゴスラビアは一旦内戦が始まれば滅びるしかない。
その言葉の通り、内戦によってユーゴは大解体、ズタズタに、憎しみにあふれた状況になった。

対する日本は中央集権。近代戦争をするためのシステム。

さて、話を戻すと、1988年6月、世界中何かが変わってもベルリンの壁は決して落ちない(今後70年)と、理論家はいっていた。
しかし、1988年10月東ベルリンにいて「変わるんじゃないか」と思った。
でも、その直前まで分からなかった。

学生運動の時もそう。学生なんて政治に動くわけがないと直前まで思っていた。

フィリピンの民主化、マルコス政権が変わるときは「あっという間」。変化は起きるまで外側から見えない。

東ドイツを見て肝に銘じたのは、どんなに理想を持って社会を作っても、上からトータルプランを持つのはあやしいと感じた。
そこでアーレントに引かれた。

プラトン以降の政治哲学は設計図に基づいている。計画があってつくる。
本当にいいのか?

最初にこうするべき、という設計図を最初に出すのは疑問。
societyの訳語は、交際、付き合い、だったが、そうもいかないので、「社会」と訳した。
以前は世間・世の中だった。

30才若い先生が自殺してしまった。その人が
「僕らの世代には社会という観念はない」

といった。
「これだ!」
と思った。
高橋さんが国民主権、といった。15才の時に私もそう思った。しかし、そのことと今の大学生との間には大きなギャップがある。
大学生に
「私たちが主権者だと憲法にある。君たちが主権者だと思う人」
と尋ねると手を挙げる生徒はゼロ。
今現在、学生に「主権意識」はない。ヨーロッパで社会はどう成立したかを考えると分かる。

ギリシャ
財産や身分に関係なく、「自由になった人」その条件を持つ者が市民として共同体を形成するのが社会。

近代
近代社会は
?社会契約論(財産権の保障<富の蓄積を認める>)=こちらは経済的利益→経済主権

?市民社会(市民の側に主権)

?と?が混同された結果、結局金の問題になっている。金に翻弄されているうちは、それに振り回されたまま。

市民社会とは?原点を取るとき、

A,経済的共同体
B,政治的共同体

この識別が必要。
ハーバーマスを含めて信用できない。
経済的調停ができると思っているのがダメ。

(大学教授も年俸制になって退職金がなくなる。)

金の問題に合意はない。金に合意点があるかのように考えるのはダメ。ハーバーマスがそのいい例。

新自由主義的である限り、「社会」はありえない。

ソーシャルというのは、困っている人、弱者を協力して助ける、ということ。
ソーシャリスト、ソサイエティーもそこからきている。

言い換えれば、自分が自分の人生・集団の決定者でなければ、そこに社会はない!!

助け合いの運動のないところに社会はない。
自己決定がないところに社会はない。

自分が主権者、主人公である、ということだ。

今、?橋先生と議論すべきところでもある。
つまり、「国民主権」の限界性を意識しつつある。

国民て何?もうそれが自明ではない。

今、孫がハーフ(ではなく今はダブルという)で、ドイツでも日本でも差別された。その結果彼女は、絶対に二つのアイデンティティを捨てない、といっている。
(成年時にどちらかの国籍を選ばなければならないが、選ばない、ということ。そのために捕まっても!)

どういう意味で国民を成立させ、それを積極的につかえるのか?

かつて、経済的に成功してきたから、日本人であることは利益があった。
たとえば、外国で「私は日本人です」といったとき、お金持ちだからいじめるのをやめよう、となる。私たちは日本人であることによって利益を得てきた。

社会主義が最悪だったのは、国家単位だったということ。
社会主義が最良だったのは、国家の中の人の生活を保障しようとしたこと。

ユニクロの柳井社長は、これからは1億円稼ぐ人と100万円稼ぐ人に分かれる、といっている。つまり、グローバル社会の格差を前提としている。

話を戻すと、「社会がない」「主権者ではない」学生と、私の決定的な才は、将来が保障されているかどうか。
人々が生活する安定的基盤を奪うのが新自由主義である。


ここから先は異論があるかもしれない。

経済は人の心を左右する。翻弄する。2億円あっても、10億円あっても。
なぜ、誰もそれを問わないのか?

私は、福島県の(底辺校といわれていた)言わせ農業高校訪問によって人生を変えられた。以前から、ジェンダー意識の聞き取りなどで成績上位の進学校は訪問していた。しかし、成績下位の学校には行っていなかった。今は<普商工農>という高校の序列がある。
そこで、岩瀬農業高校にいってみた。

これが凄い学校だった。専業での農業後継者は数名しかいない。だから、農業者を育てるということではない。そこで行われていたのは、

生活自立のための教育、自分で生きていく力をつくる教育

だった。自分でならった技術や知識を下級生に伝える。そこでは自己肯定感をつぶされていた者が、解放された。

二度訪問したが幻想ではなかった。

私は昔から、6才の時初めて今の連れ合いに出会って、今は仲良く別居している。
15才で「結婚してください」といった。料理ができないと離婚できないから、一生懸命彼女にならった。そうしたら、28才で「今日の料理」という番組に出演した。
しかし、40才までは「お父さんの料理」にすぎなかった。しかし、2000年からアメリカで暮らしたとき、アメリカの田舎は料理がまずい。怒り狂って自分で作った。そこから「おかあさんの料理」になり、自己肯定感が高まった。

自給自足ということ。家があって、自炊ができれば生きていける。

10万円で田舎暮らし?
40万円で都会暮らし?
これは選択の問題。

ここで問題。

ハンナ・アーレントは「プロパティ(property)」という概念をいっている。

アーレントの考えは、本を読んでもなかなか分からない。「私的所有」についての考えはなかなか分からない。

私有財産は「盗み」だと考えていた(注:誰が?アーレントが?昔?一般的に?不明。)

プロパー→自分の、自分固有の

自分が自分でいられるために必要なもの=「プロパティ」

Propertyとwealthの違い

Property 財産、所有物。→人間が人間として生きていくための条件

Wealthは富、財産。→金を際限なく蓄積する方向(アダム/スミスはこっち)

それはこういうこと。
例:帝国ホテルでずっと暮らしたいか。

人間は自分の生きる空間を自分でしつらえたい四級がある。
Wealthがあれば、ホテル暮らしができる。それは最良の空間として提供されたものではある。
しかし、Property、生きる条件がなければ暮らせない。


そして、近代はPropertyを奪う社会。そして、Wealthにますます依存する仕組み。

私はこのことをガンディーから学んだ。

チャルカや塩の行進でなぜインドはイギリスから独立できたのか?

この理解に時間がかかった。

本当に社会を変えるには、4億の人々が社会の主人公だという意識を持たねばならない。人間としての誇りの最原点を示したのがガンディー。1929年世界恐慌の翌年に、1930年塩の行進、である。

21世紀はグローバル化した時代であると同時に、コントロールできない時代。

技術者も想定外のことはコントロールできないと知っている。
金融や資本は国民国家レベルではコントロールできない時代。
つまり、計算可能性が限界。
70億人は人間には数えることすらできない。

分からないことだから黙っちゃう。
そして支配者の言葉を内面化してしまう依存。

その状態は、Propertyを失っている、といえる。

金を求めるWealthではなく、私たちは私たちの生活を自分たちで作り上げていくことが必要。
べてるの家という統合失調症の治療をしているところの話が参考になる。
症状を認め合い、語り合い、暮らしていこうじゃないか、という、病気と共に暮らしていく道を始めている。

Eテレのハートネットで、知的障害の女性の番組をやっていた。
売春の多くが知的障害者
「おまえは(一人で生活)できないだろう?やってやるよ」
と命令する。本人は自己肯定感がなくなっていく。
その結果、売春から抜け出せなくなっているということが起こる。

施設に入所した人に、日常生活の自立ができるよう自己点検させる。すると、自己肯定感が増え、自分の生活は自分でできるようになる。

すると、自分で断れるようになる。

以上のことから、権力者が政治を変えるのではない、みなさんが生活を変えることだ、ということが分かる。

たとえば、結婚しない人が増えれば、不登校が増えれば、社会は変わらざるをえない。
国家や市場に振り回されているうちは、変わらない。

(以上)
高橋哲哉さん講演(エチカ福島第3回セミナーより)
のメモです。
例によって個人的なノートにすぎません。
間違いを含んでいますので、あくまで個人的なメモとして。

せひ、後ほどupされる佐藤先生の講演、その後のお二人の対談、そして海上とのやりとりとあわせてご覧ください。

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個人的なことから始めたい。
「原発事故は日本社会を変えたか」
というテーマについて、私はずっとこの問いを持ち続けている。3.11のとき
「もしかしたら変わるかもしれない」
と思った。福島県全体が無くなってしまうかもしれない。いや、日本がつぶれてしまうかもしれないという恐怖があった。

日本社会が変わらざるを得ないのではないか?

菅直人が、当時首都圏3000万人の避難をシミュレートしていた。しかしそんなことはできない。国としての機能が麻痺してしまう。背筋が凍った、述懐している。

(そういうことをふまえてみれば)

変わる可能性があった。

その後、政府、東電の記者会見をみると、うまくいっていない。どうにもコントロールできていないにも関わらず、「直ちに影響はありません」とか、事実と違う話がでてくる。

安全神話があったが、いや神話ではなく、大丈夫だといわれていたが結局

「原発は安全だ」
「絶対事故は起こらない」

が嘘だったんだな!
ということが誰の目にも明らかになった。国民に嘘をついていた。いよいよ日本が変わるんだな、変わるんじゃないかな、とおもった。

しかし。

私自身、3.11以前はやはりつきつめて考えてはいなかった。安全神話を信じてはいなかったが、油断していた。
これは脱原発だ、と思った。本を書いた。
実際、2030年代には原発ゼロということが政府の方針にも入った。

しかし、今トルコ・インド・ベトナムなどに原発を輸出入し、再稼働を認め、2030年度の原発ゼロを白紙撤回し、増設さえ認められるということになろうとしている。
また、3.11直後、今回の悲劇にもかかわらず、経産相内部では、原発維持の文書を作っていたことが明らかになった。

本当に原発は犠牲のシステムだな、と思う。

第一に作業者の被爆の問題がある。
十万年間危険な物質を扱わねばならない。

にもかかわらず従前通り増設まで認めるという。

これは政府に「福島は犬死に」だったと宣言されたといっていい。
そういう意味ではエチカ福島の第3回テーマ設定趣旨に賛同する。

絶望・あきらめがひろがる。
怒りはあるがしかしどうしようもない。

こういう状況がある。生まれた土地のことでもあり、他人事ではなく分かる。

しかしですね。

これであきらめてしまうとしたら

「あきらめが早すぎる」

あきらめてはいけない。

「少なくても私はあきらめない」

最後は一人一人が問われる。

ここであきらめるかあきらめないかは、
「日本社会への希望」
の問題です。

ここで、社会と国家が必ずしもイコールではないことを指摘しておきたい。


しかし、日本では、政策を進める「国家」の政治によって「社会」が受ける影響が欧米に比べてつよい。

(注:市民社会としての「社会」の力が弱い、ということか)

(国家に対して社会が弱いと言うことでは)
農村部が弱いようにも見えるが、都市部でも大して変わらない。

つまり、社会が国によって支配されてしまう、ということ。

国が変わらないといけない。

「あきらめるのはまだ早い」

実は、社会が変わるかも、と思ったのは初めてではない。

初めて社会が変わるかも、と思ったのは中学校三年生の頃。

「憲法と違うようにこの国は動いているんじゃないか」

とおもった。

国民主権・基本的人権・平和主義

という3つの原則からズレている。

一つには選挙の時結局「お金」「利益誘導(田中角栄が典型例)」で動いている。
もう一つはかつての敗戦に至るまでの政治家の認識。当時は(憲法に反する)モンダイハツゲンで閣僚が辞職した(今はもう違うが)。

なんでこんな変なことをいう人がいるんだろう?
しかしこれはまだ新憲法になって時間が経っていないからいずれ時間が経てば変わるだろう、と思った。そのことをよく覚えている。

しかし、変わらなかった。

二つ目は1990年、従軍慰安婦の肩書き名乗り出た。この時も変わる、と思った。私は生き証人が出てきたんだから、もうおかしな発言はなくなるのではないか
。日本は戦争責任についてはっきりしなければならないのではないか、と思った。

そのときは逆の展開になりましたが。

三度目は、政権交代のとき。
沖縄問題、対米従属の見直しなど、国民の多くが自民党を見限った。
これで日本は変わるかもしれない、と思った。

しかし、結果はご存じの通り。

要するに何が言いたいかというと、

「日本社会は、なかなか変わらない、変わりにくい国だ」

ということ。

90年代にバックラッシュがあった。それは歴史問題。

到底黙っていられない、と思った。
もちろん自分一人に何が出来るか?
(ということはある、しかし)
自分で言えることを言っていこう、社会を、国を変えることにはならないかもしれないけれども、変えたいと思ったらやろう。
そう思ってやってきた。

そういうふうにしてから20年、日本は最悪の状態だと思う。

ただ、にもかかわらず、あきらめない、と申しましたし、あきらめるべきではない。

(確かに)社会を、国を変えようとする力が弱い。それは、いろいろあるが、たとえば

福島を例にとれば、想像を絶するものがあっただろう。悩み、苦しみ、不安、いろんな形でそれぞれに苦しい時間を過ごしてこなければならなかった。
それはよーーーーーく分かるんです。

けれども、福島はこの事故を経験することによって

「責任を負ってしまった」

とも思う。

原発とは何か?
誘致はどんな問題を含んでいるのか?
事故が起こったらどうなるのか?

福島の証言者として、日本に、世界に責任を負っている。極端な言い方をすれば、使命を負わされた、ということでもある。

もし
「東京にいてきれいごとをいうな」
という方がいらっしゃったら、あとでいってくださいね。

いずれにしてもチェルノブイリ級の世界史的な事故が起こってしまった。

まず、健康に生き延びること、これが一番です。
そして次には

ふりかかってきた問題について

社会化・世界化・普遍化

する責任を背負った。


今回の趣意書P2の下にはいろいろ考えさせられる。

「無関心」「政府もしてくれない」
「自分に何が出来るんだろう」「無力感におちいる」

では自分はこの二年間何をしてきたのか。
大変な状況ではあった。それは確かにそうだ。

しかし日常に戻ってきた。
もしそうだとすれば何かできることはないのか?

むしろここから始めることがあるんじゃないか。

(私は)『犠牲のシステム福島県 沖縄』という本を書いた。
「犠牲のシステム」とはどういうことか。

戦後の沖縄は在日米軍基地を日米安保体制(最近は日米同盟と呼ばれているが)の下で負担してきた。おかげで平和だった、と考えてきたが、沖縄はスケープゴート(犠牲の羊)になってきた。責任を沖縄に背負わせてきた。

国土の0.6%の沖縄に、全基地の74.8%が置かれている。

アメリカと日本政府の判断でそうなった。沖縄戦て20万人が死んだ。、もっとも厳しい戦闘の末、結果としては切り捨てられた。(つまり)アメリカに占領され、それ以後、サンフランシスコ条約で施政権をアメリカに渡した。
その後、本土並の復帰を希望したが、本質的には変わらないまま今日にきた。
本土が受けるべき負担を沖縄が負担するその事実を日本人(ほとんどが本土の人)は8割肯定している。沖縄で支持しているのは10〜20%。

そういう場所に置かれている。これが不平等だ、差別だ、という考えが(沖縄において)強くなっている。

今世界で一番危険な基地である普天間を本土に移設して欲しい、と41町村長は、首長・議会ともに、総てが賛成し、建白書として政府に手渡した。
県外移設希望と、それからオスプレイ配備反対ですね。

安倍政権は一顧だにせず、辺野古移設しようとしている。
今この年末、ものすごい圧力が沖縄にかけられている。
今年、「沖縄独立学会」が立ち上がった。

なぜ沖縄の話をしているのかというと、県がまるごと憲法の人権から疎外されているのは、沖縄と福島だ。

もちろん全国的に人権は疎外されているが、沖縄と福島は憲法番外地だ。

沖縄ばかり70年続いている。
それでも、あきらめてはいない。
絶望しているかもしれないが。

福島県の首長と議会が全て政府につきつけたらどうだろうか。

訴える方策かといってもわからないという話もあった。確かに簡単には変わらない。
日本は本当に変わらない。

しかし、あきらめたら終わり。

あきらめるには早すぎる。沖縄は70年間も闘ってきていますよ。
率直にそう思っている。少しでも国を、社会を変える方向に考えるべきではないかと思うのです。

あきらめてしまえばそれで終わり。
自民党の憲法草案をみると、本当に変わらないな、と思う。

けれども、そこまで行かれてしまうと大変。

絶望・あきらめは、全部ジブンノウンメイヲ政治ににぎられてしまうことになる。
政治に無関心になることは政治に依存することになってしまう。安倍に任せればどんどん進めてしまう。

無関心は依存だ。

ヤスパースがドイツの敗戦後にドイツ人として自らの罪を考えた。

罪の問題は

1刑法上の罪→裁判で問われる
2政治上の罪→政府を作り出した国民の集合的罪
3道徳上の罪→1,2には中らないが相互批判するべき罪
4形而上の罪→人間の判断を超えた、神の前で問われる罪

政治的な罪について、為政者のやったことに国民に責任があるということについての反論に答えて、ヤスパースは再反論して言っている。


「近代国家においては、埒外ということはない」

知らなかったといっても、山奥にこもって修行していた、といっても、国のシステムと無関係ではありえないということだ。

今の日本社会で国の政策と無関係に生きている人はいないでしょう。
なにも日本を強調するつもりは無いけれども、日本の有権者として、責任がないとはいえない。

(以上)






エチカ福島の第3回セミナーを下記の通り開催します。
アーレントの専門家で訳書があり、ジェンダー研究のご著書もある佐藤和夫先生と、デリダ研究、戦後責任論などをご専門とされる高橋哲哉先生をお迎えし、
「原発事故は日本社会をかえたか?」というテーマで、じっくり講演・対談・会場との討議を行います。
どなたでも参加できます。






 
【エチカ福島第3回セミナー開催のご案内】(改訂版)

福島の仲間たちと企画して立ち上げた団体です。
活動目的は、3.11以後に福島からしか立ち上がらないエチカ=倫理を、各分野で活躍される知識人を招きながら、聴衆も巻き込んで討議を行うセミナーの開催です。
講師のお二人は研究の最先端をゆく哲学者です。
ぜひ、多くの方々にご参加いただければ幸いです。

【開催日時】 12月21日(土)13:00〜17:15
【場所】 桜の聖母短期大学の講義室(をお借りする予定)
【テーマ】「原発事故は日本社会を変えたか?」
        ―社会を変える/社会が変わることへの哲学的探究―
【講師】 佐藤和夫先生(千葉大学名誉教授・哲学・アーレント研究・ジェンダー研究など)
     高橋哲哉先生(東京大学教授・哲学・デリダ研究・戦後責任論・記憶論など)

【タイムスケジュール】  
1.開会―エチカ福島とは― 13:00〜
2.第3回テーマの趣旨説明(渡部純) 〜13:15 
3.高橋哲哉 先生 60分 13:15〜14:15
  10分休憩
4.佐藤和夫 先生 60分 14:25〜15:25
  10分休憩
5.佐藤―高橋の対談40分 15:35〜16:15
6.会場との討議 60分 〜17:15
7.閉会 17:15

☆会場は桜の聖母短期大学をお借りできることになりそうです。
☆資料代として500円ちょうだいします。
☆会場は200人以上収容できる場所を、と考えています。事前の申し込みは要りません。
☆駐車場には限りがあります。ぜひ市内循環バスの利用をお願いします。

 
「エチカ福島」設立趣意書です。
3バージョンあります(笑)

バージョン1(ロング版)
1 命名の由来と立ち上げの原点
 一般に倫理と訳される「エチカ」の語源は、ギリシャ語の「エートス」、「住み処」という意味である。が、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故後の福島県民には、これまでの生活の延長上としての「住み処」はないと言っても過言ではない。私の住むいわき市には双葉町役場が置かれ、多くの仮設住宅が並んでいる。その一方で車で2時間ほどの富岡町夜ノ森など未だに無人の場所もある。その中で最も心的ダメージを受けているのは、子どもたちではないだろうかと考えた島貫は、事故後に再開した勤務高で「大震災の中で」をタイトルに作文を書かせた。ありえない惨状に対する言いようの無い恐怖がなまなましく描かれるその一方で、彼らは大地震と大津波という自然災害と放射能汚染という人為的災害の両方に真剣に向き合っているとも感じた。
「原発が、福島県をうるおしてきたのも事実で、今苦しめているのも事実である。結局苦しめられているのは地元の人なのだ。これからは、原発だけではなく、何か違う方法で発電しなければならない。また、そのためには日本人の生活を変えていかなければならない。私達の今の生活は豊かで便利かもしれない。しかし、それを追い求め電気をいっぱい使い、資源を追い求めていく生活はきっと日本の将来をだめにしていく。今回の原発の事故は、東電の対策不足もあるけれど、私は日本人全員が引き起こしたものであると思う。節電と騒がれてる今、電気が無いなら、無いなりに人は生活していける。無いなら無いなりの生活がある。もう二度とこのような事故を起こさないために、私たちの生活から変えなければならない。」(生徒作文より)
 この子どもたちの叫びに応え、大人としての責任を果たしたいと心底思ったことが、「エチカ 福島」設立の原点となった。

2 「エチカ 福島」設立とその目的
 福島県の高校教師3名(島貫・深瀬・渡部)に小学校教師1名(荒川)が発起人となり、活動を開始することにした。私たちが目指すものは今日の現実を何とかしようとする政治的なそれとは異なり、明日の福島復興を目指す者の価値観や考え方の探求であったので、最初の活動にあたって高崎経済大学准教授の國分功一郎先生に第1回セミナーの講師をお願いした。國分氏はスピノザの研究者である。スピノザの唱える「神即自然」(自然の摂理も人間の営みもこの世界の理法=神の内にあるという考え方)が今の福島には最も必要な考え方ではないかと感じたからだ。先生は「福島に行くことは哲学者の使命です」と言われ、講座の後はスタッフとともに福島市の洋食店オーナー、相馬市漁協職員、岩瀬地区のいちご生産農家とも意見を交換した。
 エチカ(倫理)は高校や大学の中でのみ育つものではない。今なお福島に生活する者は誰もが苦しい現実の狭間でもがいているが、現実のとらえ方もその中でのもがき方も人それぞれである。それ故に福島には人々を隔てる様々な分断線が走っているのも事実である。しかし福島で起こっている全てのことは普遍的な出来事である。したがって全ての人は福島に対して傍観者ではあり得ない。福島に関わる者が互いに異なる立場から情報を発信し、意見を交流させる中に私たちの倫理が育つのだと信ずる。倫理の「倫」は「ともがら」、「理」は「ことわり」とも読む。福島に生きる者として、仲間と共に、あるいは他者と共に生きるための新しい「理」を、多くの人々との意見の交流の中で追究したい、これが、「エチカ 福島」設立の目的である。

3具体的な活動
エチカ福島の活動は、定期的なセミナーを、人々の参加のもとに開催しつつ、さらに多くの人々への問いかけとしてその記録集を出版したい。


バージョン2
(第2回セミナーフライヤー用バージョン)
震災から二年。
福島はいまだに数え切れないほどの困難を抱えています。
「絆とかいってっけど簡単には一つにならんに」
「結局何も、考えてませんでした、では100年後の福島人に笑われっつぉ」
結論はいつも堂々巡り。
でも、今こそ生きることの意味を根本から見つめ直す好機かもしれない、私たちはそう考えます。
自由に人が集い、「異なった考え」をあーでもないこーでもないと言い合いながら、なお共通の「倫理」について、講師の人も交えて「一緒に考える」……そんな「広場」のようでありたい、と考えて活動を始めました。
6/22(土)福島県立美術館でみなさんをお待ちしています。

バージョン3(ショート版)
今福島に生活する者は誰もが苦しい現実の狭間でもがいている。その捉え方やもがき方は人それぞれであり、互いに人々を隔てる様々な分断線が走ってもいる。
しかし同時に、福島で起こっている全ては普遍的な出来事であり、人は誰も福島に対して傍観者ではあり得まい。
私たちには、福島=世界の住民として「エチカ(住処を同じくする者たちが共有すべき道理)」を問い続ける責務がある。そして「エチカ」は、福島に関わろうとする者全てが、多様な立場から意見を交流させることで、初めて育つのだと信じる。公開セミナーと出版活動を粘り強く続けていきたい。

「エチカ福島」第2回セミナーによせて
(共同代表深瀬)
その1

エチカ福島、という勉強会があります。第1回目は今年の二月に開催しました。その時は今を時めく國分功一郎さんに来ていただきました。エチカ福島の仲間が、お願いしたところ、行きますとすぐに答えられたそうです。仲間によると、福島でそこに生きるためのエチカを問おうとする勉強会に出るのは、哲学徒である自分の義務であるということを話されたそうです。僕はその話を聞いて泣きそうになりました。
第2回エチカは、6月22日の1時から、福島県立美術館の講堂で開催します。今度のメインは、新潟大の丹治嘉彦さんです。丹治さんには前回序説をしていただきました。彼は新潟その他の多くのアートプロジェクトに、作家としてはもちろんプロデューサーとして関わって来られました。彼は福島市出身で、実は僕とは高校の時以来の友人ですが、エチカ福島の話をしたところ、國分さんと同じように、是非参加したいと言って下さいました。彼は、例えば、妻有で行われているアートプロジェクトに長期的に関わり、新潟の過疎化と高齢化が進む新潟の中山間地域の人々と自然、そこから紡ぎ出される生活に寄り添いたいと願いつつアート活動を行っておられます。福島は、原発事故以前から新潟同様に中山間地域の過疎化は深刻な問題でした。安部首相は、TPPで農業に活力を、と言っていますが、彼の視野には耕作面積が狭く、棚田と呼ばれる工夫をしながら辛うじて農作を行ってきたこのような地域は全く映ってはいません。これから中山間地域の過疎化はさらに加速し荒廃して行くでしょう。棚田という工夫は手間がかかります。特に雪国では棚田は土砂が崩れやすいから常時棚田は修繕しなければならない。人の手がなければあっという間に荒れてしまう。
福島は目に見えない放射能によって美しかった自然は汚されてしまった。故郷から強制的に出させられた人々、故郷を去らざるを得なかった人々、故郷に残りながら不安な毎日を送っている人々、福島にはたくさんの分断線が入っています。人々の心を隔てる分断線です。
僕たちは、そういう福島で、僕たちの、共に生きるためのエチカについて考えたいのです。
丹治さんには、アートで人とつながる、ということについて話していただきます。それは福島におけるアートプロジェクトの可能性を語ることにもなると思います。
後半は丹治さんの問題提起をうけて、質疑応答を含めたセッションに1時間半程度を予定しています。
ちなみに、丹治さんの問題提起の前に、僕が第1回エチカから第2回エチカへの流れについて、自然と人間の関わりとしての技術に焦点をあてて少し喋ります。

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「エチカ福島」第2回セミナーによせて
(共同代表深瀬)
その2

深瀬 幸一
10分前 ?
昨日の続きですが、丹治さんが作家として参加した瀬戸内を舞台にしたアートプロジェクトの映像を見せてもらったことがあります。別な作家ですが、大島という、ハンセン病の隔離が行われた島で行われたプロジェクトについて知った時に、僕は胸を突かれたように感じました。そこは多くのハンセン病の患者が暮らす完全に隔離された場所でした。彼らには人としての権利は与えられてはいませんでした。僕は今、ずいぶん曖昧な日本語を使いました。彼らから権利を剥奪した主体を明示しなかったのです。
彼らがかつて生活のために使った用品を丹念に集めて展示してある部屋があります。金属製の生活用品は、一部だけがピカピカに磨き上げられています。彼らの使った生活用品は、彼らの人としての存在を偲ぶよすがです。しかし、磨き上げられた部分には、ここを訪れる僕らの姿が映し出されます。そこに映るのは、彼らと、彼らから人間の権利や誇りを奪い取ってきた主体としての自分です。直接的に手をくださなかったことは、その責任を免れる理由にはならない。そういう理屈以上に、大島という場所で、使われた道具に映し出される自分の姿を見ることによって事実は明るみに出されるのではないでしょうか。
さて、僕は、前回のエチカで、僕たちの責任を問う、というテーマで問題提起をしました。このことについてはこれからも問い続けなければならない問題です。第3回以降に改めて論じたいと思っています。



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「エチカ福島」の第2回セミナーが開催されます。
日時:6/22(土)13:00〜
場所:福島県立美術館講堂
内容:「アートでつながるってなんだろう」
問題提起:
深瀬幸一(橘高校)
丹治嘉彦先生(新潟大学)

☆問題提起の後、90分、ゆっくりお互いに話をするがあります。
☆資料代500円ですが、美術館の常設展チケット付きです。



 
「エチカ福島」第2回セミナー開催のお知らせです。


人間と自然の関わりにおける技術・アートについて考えるという問題提起のもと、

たくさんのアートプロジェクトを手がけ、地域とアートの関わりについて実践=研究しておられる

 新潟大学の丹治嘉彦先生

をお招きし

「これからのアートの話をしよう」

というテーマで「エチカ福島」第2回セミナーを開催します。


日時
  2013年6月22日(土)13:00〜16:00

場所 
  福島県立美術館

内容
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 1,技術という、人間と自然との関わり 
                                         橘高校 深瀬幸一 

  人間と自然の関わりとしてのアートと技術について

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 2,アートとは何か、アートに何ができるか 
                                   新潟大学 丹治嘉彦 先生
   

 新潟におけるアートプロジェクトの実践から

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 3,意見交換会 

   アートプロジェクトがもたらすものとは?

   アートプロジェクトと「芸術」との違いは?

   原子力という技術とアートの関連

   福島におけるアートプロジェクトの可能性と意義

   などなど
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資料代 500円(常設展チケット付き)


アートに興味のある方も、地域プロジェクトに関心をお持ちの方も、そして福島の「今」をじっくり考たい方も、梅雨時の午後のひととき、よろしかったらいらしてみてください。