高橋哲哉さん講演(エチカ福島第3回セミナーより)
のメモです。
例によって個人的なノートにすぎません。
間違いを含んでいますので、あくまで個人的なメモとして。

せひ、後ほどupされる佐藤先生の講演、その後のお二人の対談、そして海上とのやりとりとあわせてご覧ください。

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個人的なことから始めたい。
「原発事故は日本社会を変えたか」
というテーマについて、私はずっとこの問いを持ち続けている。3.11のとき
「もしかしたら変わるかもしれない」
と思った。福島県全体が無くなってしまうかもしれない。いや、日本がつぶれてしまうかもしれないという恐怖があった。

日本社会が変わらざるを得ないのではないか?

菅直人が、当時首都圏3000万人の避難をシミュレートしていた。しかしそんなことはできない。国としての機能が麻痺してしまう。背筋が凍った、述懐している。

(そういうことをふまえてみれば)

変わる可能性があった。

その後、政府、東電の記者会見をみると、うまくいっていない。どうにもコントロールできていないにも関わらず、「直ちに影響はありません」とか、事実と違う話がでてくる。

安全神話があったが、いや神話ではなく、大丈夫だといわれていたが結局

「原発は安全だ」
「絶対事故は起こらない」

が嘘だったんだな!
ということが誰の目にも明らかになった。国民に嘘をついていた。いよいよ日本が変わるんだな、変わるんじゃないかな、とおもった。

しかし。

私自身、3.11以前はやはりつきつめて考えてはいなかった。安全神話を信じてはいなかったが、油断していた。
これは脱原発だ、と思った。本を書いた。
実際、2030年代には原発ゼロということが政府の方針にも入った。

しかし、今トルコ・インド・ベトナムなどに原発を輸出入し、再稼働を認め、2030年度の原発ゼロを白紙撤回し、増設さえ認められるということになろうとしている。
また、3.11直後、今回の悲劇にもかかわらず、経産相内部では、原発維持の文書を作っていたことが明らかになった。

本当に原発は犠牲のシステムだな、と思う。

第一に作業者の被爆の問題がある。
十万年間危険な物質を扱わねばならない。

にもかかわらず従前通り増設まで認めるという。

これは政府に「福島は犬死に」だったと宣言されたといっていい。
そういう意味ではエチカ福島の第3回テーマ設定趣旨に賛同する。

絶望・あきらめがひろがる。
怒りはあるがしかしどうしようもない。

こういう状況がある。生まれた土地のことでもあり、他人事ではなく分かる。

しかしですね。

これであきらめてしまうとしたら

「あきらめが早すぎる」

あきらめてはいけない。

「少なくても私はあきらめない」

最後は一人一人が問われる。

ここであきらめるかあきらめないかは、
「日本社会への希望」
の問題です。

ここで、社会と国家が必ずしもイコールではないことを指摘しておきたい。


しかし、日本では、政策を進める「国家」の政治によって「社会」が受ける影響が欧米に比べてつよい。

(注:市民社会としての「社会」の力が弱い、ということか)

(国家に対して社会が弱いと言うことでは)
農村部が弱いようにも見えるが、都市部でも大して変わらない。

つまり、社会が国によって支配されてしまう、ということ。

国が変わらないといけない。

「あきらめるのはまだ早い」

実は、社会が変わるかも、と思ったのは初めてではない。

初めて社会が変わるかも、と思ったのは中学校三年生の頃。

「憲法と違うようにこの国は動いているんじゃないか」

とおもった。

国民主権・基本的人権・平和主義

という3つの原則からズレている。

一つには選挙の時結局「お金」「利益誘導(田中角栄が典型例)」で動いている。
もう一つはかつての敗戦に至るまでの政治家の認識。当時は(憲法に反する)モンダイハツゲンで閣僚が辞職した(今はもう違うが)。

なんでこんな変なことをいう人がいるんだろう?
しかしこれはまだ新憲法になって時間が経っていないからいずれ時間が経てば変わるだろう、と思った。そのことをよく覚えている。

しかし、変わらなかった。

二つ目は1990年、従軍慰安婦の肩書き名乗り出た。この時も変わる、と思った。私は生き証人が出てきたんだから、もうおかしな発言はなくなるのではないか
。日本は戦争責任についてはっきりしなければならないのではないか、と思った。

そのときは逆の展開になりましたが。

三度目は、政権交代のとき。
沖縄問題、対米従属の見直しなど、国民の多くが自民党を見限った。
これで日本は変わるかもしれない、と思った。

しかし、結果はご存じの通り。

要するに何が言いたいかというと、

「日本社会は、なかなか変わらない、変わりにくい国だ」

ということ。

90年代にバックラッシュがあった。それは歴史問題。

到底黙っていられない、と思った。
もちろん自分一人に何が出来るか?
(ということはある、しかし)
自分で言えることを言っていこう、社会を、国を変えることにはならないかもしれないけれども、変えたいと思ったらやろう。
そう思ってやってきた。

そういうふうにしてから20年、日本は最悪の状態だと思う。

ただ、にもかかわらず、あきらめない、と申しましたし、あきらめるべきではない。

(確かに)社会を、国を変えようとする力が弱い。それは、いろいろあるが、たとえば

福島を例にとれば、想像を絶するものがあっただろう。悩み、苦しみ、不安、いろんな形でそれぞれに苦しい時間を過ごしてこなければならなかった。
それはよーーーーーく分かるんです。

けれども、福島はこの事故を経験することによって

「責任を負ってしまった」

とも思う。

原発とは何か?
誘致はどんな問題を含んでいるのか?
事故が起こったらどうなるのか?

福島の証言者として、日本に、世界に責任を負っている。極端な言い方をすれば、使命を負わされた、ということでもある。

もし
「東京にいてきれいごとをいうな」
という方がいらっしゃったら、あとでいってくださいね。

いずれにしてもチェルノブイリ級の世界史的な事故が起こってしまった。

まず、健康に生き延びること、これが一番です。
そして次には

ふりかかってきた問題について

社会化・世界化・普遍化

する責任を背負った。


今回の趣意書P2の下にはいろいろ考えさせられる。

「無関心」「政府もしてくれない」
「自分に何が出来るんだろう」「無力感におちいる」

では自分はこの二年間何をしてきたのか。
大変な状況ではあった。それは確かにそうだ。

しかし日常に戻ってきた。
もしそうだとすれば何かできることはないのか?

むしろここから始めることがあるんじゃないか。

(私は)『犠牲のシステム福島県 沖縄』という本を書いた。
「犠牲のシステム」とはどういうことか。

戦後の沖縄は在日米軍基地を日米安保体制(最近は日米同盟と呼ばれているが)の下で負担してきた。おかげで平和だった、と考えてきたが、沖縄はスケープゴート(犠牲の羊)になってきた。責任を沖縄に背負わせてきた。

国土の0.6%の沖縄に、全基地の74.8%が置かれている。

アメリカと日本政府の判断でそうなった。沖縄戦て20万人が死んだ。、もっとも厳しい戦闘の末、結果としては切り捨てられた。(つまり)アメリカに占領され、それ以後、サンフランシスコ条約で施政権をアメリカに渡した。
その後、本土並の復帰を希望したが、本質的には変わらないまま今日にきた。
本土が受けるべき負担を沖縄が負担するその事実を日本人(ほとんどが本土の人)は8割肯定している。沖縄で支持しているのは10〜20%。

そういう場所に置かれている。これが不平等だ、差別だ、という考えが(沖縄において)強くなっている。

今世界で一番危険な基地である普天間を本土に移設して欲しい、と41町村長は、首長・議会ともに、総てが賛成し、建白書として政府に手渡した。
県外移設希望と、それからオスプレイ配備反対ですね。

安倍政権は一顧だにせず、辺野古移設しようとしている。
今この年末、ものすごい圧力が沖縄にかけられている。
今年、「沖縄独立学会」が立ち上がった。

なぜ沖縄の話をしているのかというと、県がまるごと憲法の人権から疎外されているのは、沖縄と福島だ。

もちろん全国的に人権は疎外されているが、沖縄と福島は憲法番外地だ。

沖縄ばかり70年続いている。
それでも、あきらめてはいない。
絶望しているかもしれないが。

福島県の首長と議会が全て政府につきつけたらどうだろうか。

訴える方策かといってもわからないという話もあった。確かに簡単には変わらない。
日本は本当に変わらない。

しかし、あきらめたら終わり。

あきらめるには早すぎる。沖縄は70年間も闘ってきていますよ。
率直にそう思っている。少しでも国を、社会を変える方向に考えるべきではないかと思うのです。

あきらめてしまえばそれで終わり。
自民党の憲法草案をみると、本当に変わらないな、と思う。

けれども、そこまで行かれてしまうと大変。

絶望・あきらめは、全部ジブンノウンメイヲ政治ににぎられてしまうことになる。
政治に無関心になることは政治に依存することになってしまう。安倍に任せればどんどん進めてしまう。

無関心は依存だ。

ヤスパースがドイツの敗戦後にドイツ人として自らの罪を考えた。

罪の問題は

1刑法上の罪→裁判で問われる
2政治上の罪→政府を作り出した国民の集合的罪
3道徳上の罪→1,2には中らないが相互批判するべき罪
4形而上の罪→人間の判断を超えた、神の前で問われる罪

政治的な罪について、為政者のやったことに国民に責任があるということについての反論に答えて、ヤスパースは再反論して言っている。


「近代国家においては、埒外ということはない」

知らなかったといっても、山奥にこもって修行していた、といっても、国のシステムと無関係ではありえないということだ。

今の日本社会で国の政策と無関係に生きている人はいないでしょう。
なにも日本を強調するつもりは無いけれども、日本の有権者として、責任がないとはいえない。

(以上)






エチカ福島の第3回セミナーを下記の通り開催します。
アーレントの専門家で訳書があり、ジェンダー研究のご著書もある佐藤和夫先生と、デリダ研究、戦後責任論などをご専門とされる高橋哲哉先生をお迎えし、
「原発事故は日本社会をかえたか?」というテーマで、じっくり講演・対談・会場との討議を行います。
どなたでも参加できます。






 
「エチカ福島」設立趣意書です。
3バージョンあります(笑)

バージョン1(ロング版)
1 命名の由来と立ち上げの原点
 一般に倫理と訳される「エチカ」の語源は、ギリシャ語の「エートス」、「住み処」という意味である。が、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故後の福島県民には、これまでの生活の延長上としての「住み処」はないと言っても過言ではない。私の住むいわき市には双葉町役場が置かれ、多くの仮設住宅が並んでいる。その一方で車で2時間ほどの富岡町夜ノ森など未だに無人の場所もある。その中で最も心的ダメージを受けているのは、子どもたちではないだろうかと考えた島貫は、事故後に再開した勤務高で「大震災の中で」をタイトルに作文を書かせた。ありえない惨状に対する言いようの無い恐怖がなまなましく描かれるその一方で、彼らは大地震と大津波という自然災害と放射能汚染という人為的災害の両方に真剣に向き合っているとも感じた。
「原発が、福島県をうるおしてきたのも事実で、今苦しめているのも事実である。結局苦しめられているのは地元の人なのだ。これからは、原発だけではなく、何か違う方法で発電しなければならない。また、そのためには日本人の生活を変えていかなければならない。私達の今の生活は豊かで便利かもしれない。しかし、それを追い求め電気をいっぱい使い、資源を追い求めていく生活はきっと日本の将来をだめにしていく。今回の原発の事故は、東電の対策不足もあるけれど、私は日本人全員が引き起こしたものであると思う。節電と騒がれてる今、電気が無いなら、無いなりに人は生活していける。無いなら無いなりの生活がある。もう二度とこのような事故を起こさないために、私たちの生活から変えなければならない。」(生徒作文より)
 この子どもたちの叫びに応え、大人としての責任を果たしたいと心底思ったことが、「エチカ 福島」設立の原点となった。

2 「エチカ 福島」設立とその目的
 福島県の高校教師3名(島貫・深瀬・渡部)に小学校教師1名(荒川)が発起人となり、活動を開始することにした。私たちが目指すものは今日の現実を何とかしようとする政治的なそれとは異なり、明日の福島復興を目指す者の価値観や考え方の探求であったので、最初の活動にあたって高崎経済大学准教授の國分功一郎先生に第1回セミナーの講師をお願いした。國分氏はスピノザの研究者である。スピノザの唱える「神即自然」(自然の摂理も人間の営みもこの世界の理法=神の内にあるという考え方)が今の福島には最も必要な考え方ではないかと感じたからだ。先生は「福島に行くことは哲学者の使命です」と言われ、講座の後はスタッフとともに福島市の洋食店オーナー、相馬市漁協職員、岩瀬地区のいちご生産農家とも意見を交換した。
 エチカ(倫理)は高校や大学の中でのみ育つものではない。今なお福島に生活する者は誰もが苦しい現実の狭間でもがいているが、現実のとらえ方もその中でのもがき方も人それぞれである。それ故に福島には人々を隔てる様々な分断線が走っているのも事実である。しかし福島で起こっている全てのことは普遍的な出来事である。したがって全ての人は福島に対して傍観者ではあり得ない。福島に関わる者が互いに異なる立場から情報を発信し、意見を交流させる中に私たちの倫理が育つのだと信ずる。倫理の「倫」は「ともがら」、「理」は「ことわり」とも読む。福島に生きる者として、仲間と共に、あるいは他者と共に生きるための新しい「理」を、多くの人々との意見の交流の中で追究したい、これが、「エチカ 福島」設立の目的である。

3具体的な活動
エチカ福島の活動は、定期的なセミナーを、人々の参加のもとに開催しつつ、さらに多くの人々への問いかけとしてその記録集を出版したい。


バージョン2
(第2回セミナーフライヤー用バージョン)
震災から二年。
福島はいまだに数え切れないほどの困難を抱えています。
「絆とかいってっけど簡単には一つにならんに」
「結局何も、考えてませんでした、では100年後の福島人に笑われっつぉ」
結論はいつも堂々巡り。
でも、今こそ生きることの意味を根本から見つめ直す好機かもしれない、私たちはそう考えます。
自由に人が集い、「異なった考え」をあーでもないこーでもないと言い合いながら、なお共通の「倫理」について、講師の人も交えて「一緒に考える」……そんな「広場」のようでありたい、と考えて活動を始めました。
6/22(土)福島県立美術館でみなさんをお待ちしています。

バージョン3(ショート版)
今福島に生活する者は誰もが苦しい現実の狭間でもがいている。その捉え方やもがき方は人それぞれであり、互いに人々を隔てる様々な分断線が走ってもいる。
しかし同時に、福島で起こっている全ては普遍的な出来事であり、人は誰も福島に対して傍観者ではあり得まい。
私たちには、福島=世界の住民として「エチカ(住処を同じくする者たちが共有すべき道理)」を問い続ける責務がある。そして「エチカ」は、福島に関わろうとする者全てが、多様な立場から意見を交流させることで、初めて育つのだと信じる。公開セミナーと出版活動を粘り強く続けていきたい。

「エチカ福島」第2回セミナーによせて
(共同代表深瀬)
その1

エチカ福島、という勉強会があります。第1回目は今年の二月に開催しました。その時は今を時めく國分功一郎さんに来ていただきました。エチカ福島の仲間が、お願いしたところ、行きますとすぐに答えられたそうです。仲間によると、福島でそこに生きるためのエチカを問おうとする勉強会に出るのは、哲学徒である自分の義務であるということを話されたそうです。僕はその話を聞いて泣きそうになりました。
第2回エチカは、6月22日の1時から、福島県立美術館の講堂で開催します。今度のメインは、新潟大の丹治嘉彦さんです。丹治さんには前回序説をしていただきました。彼は新潟その他の多くのアートプロジェクトに、作家としてはもちろんプロデューサーとして関わって来られました。彼は福島市出身で、実は僕とは高校の時以来の友人ですが、エチカ福島の話をしたところ、國分さんと同じように、是非参加したいと言って下さいました。彼は、例えば、妻有で行われているアートプロジェクトに長期的に関わり、新潟の過疎化と高齢化が進む新潟の中山間地域の人々と自然、そこから紡ぎ出される生活に寄り添いたいと願いつつアート活動を行っておられます。福島は、原発事故以前から新潟同様に中山間地域の過疎化は深刻な問題でした。安部首相は、TPPで農業に活力を、と言っていますが、彼の視野には耕作面積が狭く、棚田と呼ばれる工夫をしながら辛うじて農作を行ってきたこのような地域は全く映ってはいません。これから中山間地域の過疎化はさらに加速し荒廃して行くでしょう。棚田という工夫は手間がかかります。特に雪国では棚田は土砂が崩れやすいから常時棚田は修繕しなければならない。人の手がなければあっという間に荒れてしまう。
福島は目に見えない放射能によって美しかった自然は汚されてしまった。故郷から強制的に出させられた人々、故郷を去らざるを得なかった人々、故郷に残りながら不安な毎日を送っている人々、福島にはたくさんの分断線が入っています。人々の心を隔てる分断線です。
僕たちは、そういう福島で、僕たちの、共に生きるためのエチカについて考えたいのです。
丹治さんには、アートで人とつながる、ということについて話していただきます。それは福島におけるアートプロジェクトの可能性を語ることにもなると思います。
後半は丹治さんの問題提起をうけて、質疑応答を含めたセッションに1時間半程度を予定しています。
ちなみに、丹治さんの問題提起の前に、僕が第1回エチカから第2回エチカへの流れについて、自然と人間の関わりとしての技術に焦点をあてて少し喋ります。

(下記URLはFacebookに飛びます)
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=265946730217682&id=100004070714663


「エチカ福島」第2回セミナーによせて
(共同代表深瀬)
その2

深瀬 幸一
10分前 ?
昨日の続きですが、丹治さんが作家として参加した瀬戸内を舞台にしたアートプロジェクトの映像を見せてもらったことがあります。別な作家ですが、大島という、ハンセン病の隔離が行われた島で行われたプロジェクトについて知った時に、僕は胸を突かれたように感じました。そこは多くのハンセン病の患者が暮らす完全に隔離された場所でした。彼らには人としての権利は与えられてはいませんでした。僕は今、ずいぶん曖昧な日本語を使いました。彼らから権利を剥奪した主体を明示しなかったのです。
彼らがかつて生活のために使った用品を丹念に集めて展示してある部屋があります。金属製の生活用品は、一部だけがピカピカに磨き上げられています。彼らの使った生活用品は、彼らの人としての存在を偲ぶよすがです。しかし、磨き上げられた部分には、ここを訪れる僕らの姿が映し出されます。そこに映るのは、彼らと、彼らから人間の権利や誇りを奪い取ってきた主体としての自分です。直接的に手をくださなかったことは、その責任を免れる理由にはならない。そういう理屈以上に、大島という場所で、使われた道具に映し出される自分の姿を見ることによって事実は明るみに出されるのではないでしょうか。
さて、僕は、前回のエチカで、僕たちの責任を問う、というテーマで問題提起をしました。このことについてはこれからも問い続けなければならない問題です。第3回以降に改めて論じたいと思っています。



(下記URLはFacebookに飛びます)
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=266160313529657&id=100004070714663

 
「エチカ福島」第2回セミナー開催のお知らせです。


人間と自然の関わりにおける技術・アートについて考えるという問題提起のもと、

たくさんのアートプロジェクトを手がけ、地域とアートの関わりについて実践=研究しておられる

 新潟大学の丹治嘉彦先生

をお招きし

「これからのアートの話をしよう」

というテーマで「エチカ福島」第2回セミナーを開催します。


日時
  2013年6月22日(土)13:00〜16:00

場所 
  福島県立美術館

内容
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 1,技術という、人間と自然との関わり 
                                         橘高校 深瀬幸一 

  人間と自然の関わりとしてのアートと技術について

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 2,アートとは何か、アートに何ができるか 
                                   新潟大学 丹治嘉彦 先生
   

 新潟におけるアートプロジェクトの実践から

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 3,意見交換会 

   アートプロジェクトがもたらすものとは?

   アートプロジェクトと「芸術」との違いは?

   原子力という技術とアートの関連

   福島におけるアートプロジェクトの可能性と意義

   などなど
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資料代 500円(常設展チケット付き)


アートに興味のある方も、地域プロジェクトに関心をお持ちの方も、そして福島の「今」をじっくり考たい方も、梅雨時の午後のひととき、よろしかったらいらしてみてください。



 いわきの隔週紙「日々の新聞」の取材を受けました。


2013.4.30「日々の新聞」PERSONA欄


画像拡大はこちら

http://pub.ne.jp/foxydog/image/user/1367194898.jpg



「エチカ福島」の第2回セミナーは6月22日(土)を予定。

新潟大学教授の丹治嘉彦先生をお招きして、地域とアートの関係を模索しながら、幅広い芸術活動をプロジェクトとして続けておられるその実践についてお話いただきます。
また、共同代表の深瀬からは、技術論についての報告もあります。

技術とアート。それは人と自然が技術というかその営みにおいて出会うことでもありますし、同時に人と人とがそのことによって結ばれていく仕組み、とも考えられます。

エチカ(倫理)を考えていく時に大切なのは、具体的な人と人との出会いとつながりだと感じています。
時間軸を越えてつながるためには活字メディアが大切ですが、空間を共有して、そこで人と人とが出会い、小さなところから緩やかにつながっていくことがまずは基本。

そういう意味で「エチカ福島」自体も出会いの場でありたいと考えていますが、今回のテーマである技術と芸術もまた、根底から「倫理」を考える一連の営みの一つとしてとらえることができるのではないでしょうか。

みなさんのお越しをお待ちしております。

あ、ただ、まだ場所が決まっていません(笑)。

連休明けに詳細をまたお知らせします。
ときどきチェックをいただければ幸いです。


高橋源一郎の文章について書いたあと、「エチカ福島」の共同代表からFacebookにコメントが届いた。

引用開始

朝、この記事を読んだ時、真っ先に僕らがエチカ福島をやる所以だねって伝えたかった。
あまり大きな声で言うと笑われるけど、真っ当にものを感じ考える人間どうしの共鳴をここでも感じた。こういう経験は、それとは全く逆の経験と同じくらい、震災以来少なくないと思う。
日本は戦後を経験して、何も変わらなかった部分は確かにあるが、深く変わった部分もあり、丸山真男などの優れた知性とテクストにふれた者は、明らかにそれを受け継いだのではないか。僕でさえ、その末端にいる実感がある。今の日本はこんなに状況で、まさにご案内の通りのていたらくだが、もしかしたら今度こそ、っていう希望もある。何てったって、僕らまでもがこんなプロジェクトを立ち上げるんだもの。カフェふくしまもそうだけど、いままでここになかったものが生まれたわけだから。

引用終了

また、日記ブログに私も次のように書き足していた。

引用開始------
本日付の朝日新聞に載っている高橋源一郎の文章
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201303270662.html
について
「エチカ福島」に書きました。
よろしかったら参照を。

高橋源一郎「忘れさせる『力』に逆らう」を読む
http://kitsuneinu.jugem.jp/?eid=520

で、以下はそれについてまた考えたことを少し。
そこでは
「地べたに裸足で立って一から考えよう」
という意味のことを書いた。

しかしこれは、思いつくだけでも二つの間違った方向性を招きやすい。

一つは
「大震災&原発事故」経験の絶対化

もうひとつは
「リセット願望」「ガラガラポン願望」

だ。
どちらもつい個人的に陥りがちで、どちらもやばい。

前者の場合、被災地にいる人の中でも「ディバイド(分割・分断)」が起こりかねない。
大きなところでは
「フクシマ住民/それ以外の人」
という分断を生むし、小さいところでは
「線量の高いお隣/線量の低いうち」
みたいなちっちゃな分割線を引かせる力になってしまう。

震災の体験、原発事故の体験は極めて重要だが、それを時間軸から外して絶対化するだけではちょっとまずい。

他方
「リセット願望」
についていえば、それ自体としては健全な適応力の発揮でもあるのだろう。
けれど、高橋源一郎が今日の文章でも言っていたようにそれは容易に「忘却装置」と「経済的」「政治的」に結びついてしまう。

「エチカ福島」でやりたいのは、そのどちらでもない。

人が集い住むという営為の原点(そんなものは今現在この地上にはないかもしれないが)を参照しつつ、同時に「今、ここ」を生きることに瞳を凝らしつづけ、考え続けていきたいのだ。

よく「エチカ福島」ってなんなんですか?と聞かれる。

誰をターゲットにして、何を、どのように、どこまで発信しようとしているのか、と。

これを聞かれると、私は思わず口ごもる。
世の中の(社会的)営為にはそういうことが分かっていないとダメなんだろうなあ。

すまん、よく分からん。

でもね。

生きる場所それ自体を「傷つけられる」って、つまりは場所が「弱い」ものだと改めて感じる体験をするって、そんなに簡単に

「じゃあどうすればいいのか」

という話が出てこないものだとも思うんだよね。

「エチカ福島」を始めようとするまで、1年半かかっている。
そして、始めてはみたものの、終着点は見えていない。
むしろ加速度を持った思考のドライブではなく、思考の「遅速度」を持った遅いドライブをここでは心がけておきたいのだ。

そういう意味では、「忘却装置」が働き始めてから、がむしろ勝負。

「復興」を加速させる、とか「スピード感をもって政策を実行する」とかいう話には眉にツバをつけて聴こうということになります。

そういうことで済ませられるなら、すませればいい。
その程度のことなら、1年半も経ってから、出し遅れた宿題のように考え始めることなど不用です。

でも、私は、私たち「エチカ福島」はそうは思わない。

「忘却装置」に身を委ねるのでもなく、「歴史的な大事件」としてだけ記憶=記録するのでもなく、「今」すなわち100年後にも100年前にも残るような痕跡を、洞窟の中の石に刻んでおきたいのです。

さて、そろそろ第2回について考え始めようという時期になってきました。

詳細は随時「エチカ福島」のブログで書きます。

5月〜6月にかけて「エチカ福島」第2回セミナーを開催しますので、ときどきそちらも覗いて見てください。

------引用終了

上のようなことが、私たち「エチカ福島」の目指すことです。



2013年3月28日付けの朝日新聞
論壇時評-オピニオン-

で、高橋源一郎は

敗戦直後に関する鶴見俊輔、
震災直後に関する小熊秀雄、
震災後の「今」に関する鷲田清一

三人の言葉を引きながら

「過去を忘れ、責任や問題から目を逸らし、楽観的に『未来』を語ろうとする『大きな力』に立ち向かう」

ことの重要性を述べている。

未読の方はぜひ。

私たち「エチカ福島」がこれから立とうとしている場所を示唆してくれる文章でした。

例えば政治と行政は、

堤防を新しく作り、早く移転計画を進め、中間処理場計画を進めて帰還を迅速にする

など、

今まで通りの「思考のOS」

で考え、それを実行ようとします。

その「威力」はかなりのものでもありましょう。

それらは確かに、

今まで通りの「思考のOS」

の限りにおいては「正しい」のかもしれません。

けれど、今まで通りの「思考のOS」がが結果としてこの人為のリミットとしての原発事故を招いたのだから、

今まで通りの「思考のOS」

それ自体を問わねばならないし、そのためにはいったん地べたに降り立って、はだしで

「思考のOS」

を一から立ち上げ直す必要がある、私たちはそう考えています。


この記事の中で引用されていた作業員の方の

「『収束』などしていない、『収束』したことにしたい人たちがいるのだ」


という言葉は、上に書いた政治と行政の身振りが持っている

「存在していない手品の素早さ」

が、いかに隠蔽的身振りとして機能しつづけているか、をよく示しています。

あらかじめ断っておくと、そういう政治と行政に携わる方々の「善意」とか「能力」を疑っているわけではありません。

問題は個人の選択とか、善意とか、そういうことだけで頑張って復興し、起こったことを

「積極的に忘却」

しまう「思考」が問題なのです。

無前提に前提してしまっているその前提(つまりは思考のOS)

を問い直したい。

そんな「遅速度」のかかった議論や検討につきあっているヒマはない……そういう声も聞こえてきそうです。

しかし、私たちはじっくり腰を据えて、「忘却装置」の作動に抗って行きたいと考えています。それが私たちのやるべき仕事の一つ、でもありましょう。

いうまでもなく、抗うこと自体を目的としているわけではありません。

今ここで、思考をつづけることが目的です。

というわけで、もうすぐ第2回「エチカ福島」を始動します。

加速度的というよりむしろ「遅速度的」(今村仁司)ですが、地べたから考え続けるための道具として「エチカ福島」が少しでも役に立てばいいのですけれど。














対談:中沢新一×國分功一郎
atプラス叢書3『哲学の自然』が3/8に発売だそうです。

ちなみに、
國分功一郎『ドゥルーズ哲学原理』は6月に岩波書店新シリーズの1冊目として刊行されます。
これは面白いです!
中身は半分も分からないけれど、見慣れた風景ではない世界が、見慣れた風景よりもクリアに立ち上がってくる喜びがあります。
よろしかったらぜひ!

國分さんがFacebookで書いていた宮台さんのコメント。ちょっと引用させてもらいました。

引用開始ーーーーーー
昨日のシンポジウム(島貫注:2/22都道328号について住民投票を求めるイベント)の後での宮台さんの言葉。

「住民投票に関わって初めて、自分の人文的な知が役立つんだって分かった」。

確かに昨日の宮台さんの「自治」についてのお話は、宮台さんもつ理論的知と実証的な情報知が見事に組み合わされて展望を開く、そんなお話だった。

・官僚はコスト削減を考えない。これは理論的に証明できること。
・しかし国が使えるお金は今後間違いなく減って行く。
・地方で行われるべき公共工事のことを中央の官僚が分かってるはずがない。
・その地域に住む住民がその地域のことを一番知っている。だから、彼らがその地方で行われるべきことを判断する。その上で、お金が足りなければ中央に援助を頼む。
・そういう自治がなければ、我々は生き残れない。自治こそがいまの縮小する社会で生き延びる唯一の道であり、こうした自治の癖をいまからつけていかないといけない。
・官僚に公共性を定義させてはならない。しかし市民もこれまで公共性を積極的に定義しようとしてこなかった。これからそれを始めないといけない。

引用終了ーーーーーー

「縮小する社会で生き延びる唯一の道」

そう、生き延びなくちゃ!
そのためには、身近なことをあきらめず、同時に人文的な「知」を手放さないこと。